AP(アートプロジェクト)による都市地域振興と芸術家の職業構造−クリエイティブクラスによるネットワーク形成過程とその社会的役割−

要旨

【1】近年アートは以下のようなトレンドを経験している。1)美術館からストリートへ「まちに出る芸術」、2)伝統・アカデミック→モダンアート→コンテンポラリーアートへ、3)ア−トからデザインへ。これらと軌を一にしているのが、アートの社会化、アウトリーチ活動、AP(アートプロジェクト)の隆盛という現象である。【2】本研究では、現在進行しつつある「芸術の社会化」と「社会の芸術化」という観点から、AP(アートプロジェクト)を契機とした新しいアーティストの社会の中での位置づけについて研究した。公共政策においては、文化・芸術政策は、自治体の財政難、市民セクターへの移管など厳しい状況がある。このように、文化・芸術政策を進める上で、従来型の考え方、従来の枠組みでは限界が来ている一方で、社会のソフト化、特にすべての人々が創造者となる可能性のあるクリエイティブ社会が到来しつあり、必ずしも悲観する要素ばかりではない。そこで本研究では、以下の2つの大きな流れから、アーティスト育成、芸術文化振興に「新しい考え方」を入れていくことを考えた。その一つの契機としてのAP(アートプロジェクト)について検討を試みた。(1)「芸術の社会化」=芸術が市民・まちに出て行くこと。(2)「社会の芸術化」=クリエイティブ社会の到来(すべての市民が芸術に目覚めること)フロリダが予言したように、クリエイティブ社会の到来とともに、すべての市民が創造的活動に目覚めるプロセスが進んでいる。したがって、実はアートには追い風が吹いており、むしろ広義のアートの需要は拡大しているのである。(教育の場におけるアート需要の拡大)および(生活の場におけるアート需要の拡大)がある。このように、現在進みつつある社会の大きな変化=「芸術の社会化」と「社会の芸術化」はむしろアートへの追い風である。これらが今後のアーティスト育成のキーワードとなのではないか。その接点にあるのがAPであった。【3】APの定義と展開、政策を概観するとAP出現の要因となった各種手法「AIR」「アースワーク」「インスタレーション」「パブリックアート」「ワークショップ」が重要であり、日本では、以下の制度や事件が重要である。1990年「芸術文化基本法」、「滋賀県立陶芸の森」のAIRが国内での本格的なAPの始まり。1994年 財団法人地域創造。1996年 トヨタ・アートマネジメント講座。1998年「文化振興マスタープラン」。2000年「文化芸術の振興に関する基本的な方針」。「大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレ」がAPを有名にした。2001年「文化芸術振興基本法」、独立行政法人国立美術館。2003年「指定管理者制度」。【4】AP分類論 筆者独自のデータベースからAPの分類をおこなった。(時系列分類)黎明期(1992〜1994)、実験期(1995〜2001)、発展期(2002〜2009)、隆盛期(2010)の4つの時間的区分となった。(主体分類)アーティスト、市民社会・NPO、地方自治体と言うAPを構成する3者のプレイヤーを確認した。(目的・参加者特性分類)A型:アーティスト主導型(アート振興)。B型:地域主導型(まちづくり・地域づくり)。C型:教育主導型。D型:福祉主導型という4分類を得た。(タイプA)滋賀陶芸の森、アーカスプロジェクト、(タイプA・B・C)取手アートプロジェクト、(タイプA・B)大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレ、(タイプD)奈良障害者芸術祭 HAPPY SPOT NARA、(タイプC)(メガ)とがびアートプロジェクト、などの例がある。(時系列と、目的分類)時間的には、Aタイプ=>Bタイプ=>C・Dタイプの順で発展してきていることがわかる。【5】特に文化芸術政策と市民活動の盛んな都市である大阪府茨木市と鳥取県岩美町について分析した。その結果、次のようなことがわかった。(1)茨木の芸術文化運動は3期に分かれる。㈰伝統・アカデミック系「茨木美術展」=>㈪コンテンポラリー系と彫刻=>㈫AP系地元商店街を舞台にした「茨木美術環」(2005)、「元茨木川緑地彫刻設置事業」、「茨木音楽祭−イバオン」からアート振興の市民団体「茨木芸術中心」の活動へと繋がっていく。(2)鳥取県の文化政策が箱物からAPへ方針転換。鳥取県では新設の箱物ではなく、既存の施設や人的資源を活かしていく方向性を打ち出すことになる。そして1)アーティスト、2)アートマネージャー・プロデューサー、および3)行政(が協働し、「岩見国際現代美術展」を開催。【6】「AP発生プロセスモデル」として、1)はじめは、自身の創作環境の充実を目的にしていたこと、2)自主的かつ精力的に、自ら、または周辺のクリエイターの活動機会を創出したこと、3)地域のアート振興に協力するかたちで、文化政策に関わる行政関係者との関係を築いたこと、4)その結果、地方自治体における文化政策の中核的な存在になり、APの運営組織を立ち上げたこと、5)運営主体や、地域住民、アーティストなどが集まれる「場」の存在があったこと、6)APを支える複数の専門家階層=クリエイティブクラスの存在があったこと、7)APを運営しながらも、その地域における必要性や効果を、より有効なものにするための順応性に優れていたこと、を得た。【7】「茨木芸術中心」や「岩美現代美術展」の担い手を分析することにより、Rフロリダの変形として提唱する「兼職モデル」を提起できる。すなわち、●フロリダモデルでは「クリエイティブコアとクリエイティブプロは別」としたが、●日本の現代作家モデルは、「クリエイティブコア+クリエイティブプロの兼職(定職モデル)」=>別人でなく兼職でささえられている。すなわち、芸術家の専門職−ティーチャー+プランナー+ベンチャーとなり、芸術・文化政策の盛んな都市で、専門家として続けていく芸術家の可能性がでてくる。【8】そこで、芸術家が続けていく場としての「APを成功させるモデル」として、(1)茨木美術環モデル「アーティスト=地元商店街等=大学の連携モデル」(2)カフェギャラリーモデル=「美術館」「イベント」の欠点をおぎなうアート展示の第3空間(3)「芸術家+クリエイティブプロフェッショナル」のネットワークモデル、などが成功の鍵となっていることを示した。【9】また、従来型には無かったAPを含むアーティストキャリア成立モデルとして、基本骨格は従来型とほぼ同じ形であるが、最大の特徴としては、芸術大学(美術系)以外にも一般大学の出身者の増加や、卒業後のキャリアの選択肢として、他の職業やアート系NPO(AP運営側)でAPに関わる、プロデューサー、ディレクター、コーディネーター、デザイナーなど(クリエイティブクラス)の役割としての職業に従事しながら、自らもアーティストとして活動する兼職スタイルを明らかにした。
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